11日間もブログをお休みしてしまいました。。ごめんなさい。
先日4月2日の夜、大好きだったおばあちゃんが家族みんなで見守る中、穏やかに息を引き取りました。
もう長くないことは以前から分かっていました。
それでもいなくなってしまうと、やはり悲しくてしかたがありません・・
こればかりはどうしようもないことも分かっているのですが。。
祖母は、昨年の3月頃に膵臓癌が見つかり、その時にはすでに末期と言われ余命3ヶ月と言われていました。
癌のせいで胆管が押しつぶされ、黄疸症状が出てきていたため、すぐに有明にあるがん研へ入院し検査・内視鏡による手術をして頂きました。
癌は動脈に巻きついてしまっており、切除することは不可能とのことで、少しして山梨の自宅に戻り、地元の病院へ週1回通院し、抗がん剤による治療をしてきました。
今年2月に入り、胆のう炎を起こし再度地元の病院に入院しましたが、手の施しようがないとのことで、病院にいることができなくなり、自宅療養にするかホスピス等の施設に移るかの選択を迫られました。
元々しっかり者の本人は、自宅へ戻りみんなに迷惑をかけたくないことと、容態が急変した時の不安の為に、病院内の施設にとどまると言っていたのですが、試しにとのことで、一度家に帰ってくることとなり、結局は居心地のよい家で療養することに決めました。
先日大地震があった3月11日に退院してきてから、約1か月、自宅で一緒に過ごすことが出来て本当に幸せでした。
偶然にも、前回の記事で紹介しましたが、ベットから起きることが出来なくなってしまっても、一緒に料理をしたり楽しく、笑顔で過ごすことが出来ました。
膵臓癌は、痛みが激しく、最後はかなり辛いと聞かされていたため、祖母が苦しむことだけは絶対に嫌だと思っていたのですが、自宅に戻ってからは、大して痛み止めも飲まなくて良いほど、不思議と痛みがあまりでないで息を引き取りました。
病院に入院中は、昼間は母・叔母が付き添い、父・叔父・妹・私は仕事終わりに直行して祖母に会いに行っていました。退院する前1週間は、私が泊まり込み、朝叔母と入れ替わりし、とにかく一人で寂しい思いをさせないようにと家族みんなで心掛けていました。
祖母は、毎日のように私たちに感謝の言葉を言ってくれ、病院の看護婦さんや先生方にも家族のことを自慢げに話していたそうです。
5人兄弟の末っ子に生まれ、23歳で10人兄弟の長男である祖父のもとに嫁いできた祖母は、私たちでは想像も出来ない程の苦労をしてきたと思います。
こんなこともしてあげたかった、こうしてあげれば良かったと、やはり色々悔やまれることは出てきますが、出来なかったことを悔やんでも仕方がないですね。
家族みんなが、いつまでも仲良く、支え合っていくことで、祖母を喜ばせることが出来ると信じ、これからも大の仲良し家族でいようと思います☆
特におばあちゃんが大好きで特別仲良しだった、私と妹にとって、祖母はいつまでも自慢のおばあちゃんです。
いつも自分のことよりも、周りのことを気に掛け、仕事が早く、料理が上手で、頭が良くて、物知りで、あの小さな体のどこからこんなパワーが出てくるのか不思議になるほどでした。
今後もブログでたまに、私たちの自慢のおばあちゃんの自慢をさせて下さい。
おばあちゃん今まで育ててくれて本当にありがとう。
心から感謝しています。
先日4月2日の夜、大好きだったおばあちゃんが家族みんなで見守る中、穏やかに息を引き取りました。
もう長くないことは以前から分かっていました。
それでもいなくなってしまうと、やはり悲しくてしかたがありません・・
こればかりはどうしようもないことも分かっているのですが。。
祖母は、昨年の3月頃に膵臓癌が見つかり、その時にはすでに末期と言われ余命3ヶ月と言われていました。
癌のせいで胆管が押しつぶされ、黄疸症状が出てきていたため、すぐに有明にあるがん研へ入院し検査・内視鏡による手術をして頂きました。
癌は動脈に巻きついてしまっており、切除することは不可能とのことで、少しして山梨の自宅に戻り、地元の病院へ週1回通院し、抗がん剤による治療をしてきました。
今年2月に入り、胆のう炎を起こし再度地元の病院に入院しましたが、手の施しようがないとのことで、病院にいることができなくなり、自宅療養にするかホスピス等の施設に移るかの選択を迫られました。
元々しっかり者の本人は、自宅へ戻りみんなに迷惑をかけたくないことと、容態が急変した時の不安の為に、病院内の施設にとどまると言っていたのですが、試しにとのことで、一度家に帰ってくることとなり、結局は居心地のよい家で療養することに決めました。
先日大地震があった3月11日に退院してきてから、約1か月、自宅で一緒に過ごすことが出来て本当に幸せでした。
偶然にも、前回の記事で紹介しましたが、ベットから起きることが出来なくなってしまっても、一緒に料理をしたり楽しく、笑顔で過ごすことが出来ました。
膵臓癌は、痛みが激しく、最後はかなり辛いと聞かされていたため、祖母が苦しむことだけは絶対に嫌だと思っていたのですが、自宅に戻ってからは、大して痛み止めも飲まなくて良いほど、不思議と痛みがあまりでないで息を引き取りました。
病院に入院中は、昼間は母・叔母が付き添い、父・叔父・妹・私は仕事終わりに直行して祖母に会いに行っていました。退院する前1週間は、私が泊まり込み、朝叔母と入れ替わりし、とにかく一人で寂しい思いをさせないようにと家族みんなで心掛けていました。
祖母は、毎日のように私たちに感謝の言葉を言ってくれ、病院の看護婦さんや先生方にも家族のことを自慢げに話していたそうです。
5人兄弟の末っ子に生まれ、23歳で10人兄弟の長男である祖父のもとに嫁いできた祖母は、私たちでは想像も出来ない程の苦労をしてきたと思います。
こんなこともしてあげたかった、こうしてあげれば良かったと、やはり色々悔やまれることは出てきますが、出来なかったことを悔やんでも仕方がないですね。
家族みんなが、いつまでも仲良く、支え合っていくことで、祖母を喜ばせることが出来ると信じ、これからも大の仲良し家族でいようと思います☆
特におばあちゃんが大好きで特別仲良しだった、私と妹にとって、祖母はいつまでも自慢のおばあちゃんです。
いつも自分のことよりも、周りのことを気に掛け、仕事が早く、料理が上手で、頭が良くて、物知りで、あの小さな体のどこからこんなパワーが出てくるのか不思議になるほどでした。
今後もブログでたまに、私たちの自慢のおばあちゃんの自慢をさせて下さい。
おばあちゃん今まで育ててくれて本当にありがとう。
心から感謝しています。
よしことうたこのおばあちゃんは世界一幸せなおばあちゃんだね。
またゆっくりお話ししようね。
かなちゃんありがとう☆
あと、こないだは遠くから山梨まで来てくれてありがと(^^)
かなちゃんとみいちゃんの顔が見れてうれしかったぁ☆また今度は私が遊びに行くね☆
おばあさまのご冥福お祈り申し上げます。
看取られてよかったね。
きっとおばあさまも
店長こんばんは☆
ありがとうございます(^^)
最後までみんなで一緒にいられたのでとっても幸せでした☆おばあちゃんも喜んでいると思います(^^)